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阿部さんへ、ってそれほど個人限定の話でもなく
2005年12月14日 音楽どうもどうも、がやんです。
で、題名のとおり阿部さんにメッセージ。
じゃぁ、秘密日記にしとけよなぁ。
以前話した事のある「音楽における歌詞」についてですが、
昨日ウ○コしながら急に気付いた事があるので、何となく日記に
残してみたりみなかったり。
歌詞は、基本的に音楽のもっとも基本的な要素には入っていないと
思います。メロディ、リズム、ハーモニーと比較とかしちゃうと
「イラネ」みたいな。
(ストーリーを必要とするオペラなんかでは、ここでの歌詞とは
違う気がするので却下。ここではポップスに限定しましょ)
じゃぁ人間の声を使う時になんで歌詞が使われるのか。
以前は「共感性」とか話してました。いわゆる「〜さんの歌詞って
あの時の云々を思い出すわぁ」みたいな。それもあるでしょう。
最近思ったのは、歌詞とは、音楽的要素で言えば「音色」に値する
のではないかと。
よく自分の社会人音楽団体で歌詞のあるの曲を編曲した場合に
「うわ、同じメロディ繰り返しで詰らんですたい」ってことが
あるんですわ。それが原曲では「歌詞が違うからそれほどつまらなく
もない」という感じ。
クラシックとか打ち込み音楽でも
「フレーズは同じだが、使っている楽器、音が違う」
というパターンがあるのと、基本的に変わらない感じか?
よって「歌詞を変えてメロディ変わんないとか、手抜き過ぎ」とか
いってしまうと、ラヴェル死んで来い、という意味になる気がする。
同時に同じメロディ、リズム、ハーモニーの中にあっても、その部分に
はまっている歌詞が「悲しみ」と「喜び」ではじぇんじぇん意味が
違う。かの有名な「喜びの歌」を「悲しみの歌」にしたら、解釈
意味不明な曲になってしまう。
日本人のある程度の共通意識として「悲劇は美しい」というのが
あると思う。
(というかそのように予測されるような雰囲気が重要なので、
個人的感想は置いといて)
悲しい恋の歌などは「歌詞でその恋がどんなに悲しかったか伝えて、
共感しあう」という意味のほかに「悲しい恋の歌詞を使う事によって
曲の美しさを挙げる要因として使用する」という使用方法。
また「もう恋なんてしないなんて言わないよ絶対」のように、
歌詞の中に逆説を含ませる事によってあの明るいだけのメロディーに
影を落とし、変化させる効用がある。
まとまり無く箇条書きですねぇ。
い・つ・も
で、題名のとおり阿部さんにメッセージ。
じゃぁ、秘密日記にしとけよなぁ。
以前話した事のある「音楽における歌詞」についてですが、
昨日ウ○コしながら急に気付いた事があるので、何となく日記に
残してみたりみなかったり。
歌詞は、基本的に音楽のもっとも基本的な要素には入っていないと
思います。メロディ、リズム、ハーモニーと比較とかしちゃうと
「イラネ」みたいな。
(ストーリーを必要とするオペラなんかでは、ここでの歌詞とは
違う気がするので却下。ここではポップスに限定しましょ)
じゃぁ人間の声を使う時になんで歌詞が使われるのか。
以前は「共感性」とか話してました。いわゆる「〜さんの歌詞って
あの時の云々を思い出すわぁ」みたいな。それもあるでしょう。
最近思ったのは、歌詞とは、音楽的要素で言えば「音色」に値する
のではないかと。
よく自分の社会人音楽団体で歌詞のあるの曲を編曲した場合に
「うわ、同じメロディ繰り返しで詰らんですたい」ってことが
あるんですわ。それが原曲では「歌詞が違うからそれほどつまらなく
もない」という感じ。
クラシックとか打ち込み音楽でも
「フレーズは同じだが、使っている楽器、音が違う」
というパターンがあるのと、基本的に変わらない感じか?
よって「歌詞を変えてメロディ変わんないとか、手抜き過ぎ」とか
いってしまうと、ラヴェル死んで来い、という意味になる気がする。
同時に同じメロディ、リズム、ハーモニーの中にあっても、その部分に
はまっている歌詞が「悲しみ」と「喜び」ではじぇんじぇん意味が
違う。かの有名な「喜びの歌」を「悲しみの歌」にしたら、解釈
意味不明な曲になってしまう。
日本人のある程度の共通意識として「悲劇は美しい」というのが
あると思う。
(というかそのように予測されるような雰囲気が重要なので、
個人的感想は置いといて)
悲しい恋の歌などは「歌詞でその恋がどんなに悲しかったか伝えて、
共感しあう」という意味のほかに「悲しい恋の歌詞を使う事によって
曲の美しさを挙げる要因として使用する」という使用方法。
また「もう恋なんてしないなんて言わないよ絶対」のように、
歌詞の中に逆説を含ませる事によってあの明るいだけのメロディーに
影を落とし、変化させる効用がある。
まとまり無く箇条書きですねぇ。
い・つ・も
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