どもども、いつもの如く無味乾燥、がやん@エロSDです。
本日は阿部(偽名)氏と会話をしていて思いついたことINマジック
について発表したいと思います。
勝手にやってろ
・
・
・
本業マジックの人は自分とはだいぶ違う感想をお持ちだと思うので
わかりませんが、素人としてマジックを楽しんでいる方々は自分は
大雑把に分けて2つのパターンに当てはまる人がいるのではない
でしょうか。
すごく当たり前な結論ではあると思うのですが
デッキを造る人(以下、デッキビルダー)
デッキを動かす人(以下、プレイヤー)
そしてこの2つのカテゴリーは相互依存関係にあるかと思います。
(その説明は最後のほうで)
ちなみに自分は(駄目)ビルダーサイド。
これら2つのカテゴリーを説明する大前提としては
「手段は同様であるものの、目的は異なる」という事がいえると
思います。
勿論手段はMTGをプレイする事です。
目的はプレイヤーは「安定して勝利する事」であり、
デッキビルダーは「理論的にデッキを勝利に導く事」では
ないでしょうか。
つまり
プレイヤーにとって勝利とは「MTGにおける最低条件」である
のに対して、ビルダーにとってそれは最低条件ではありません。
別段これはプレイヤーがマジックを楽しまないガチ野郎、という
批判ではなく、「何処に向けてマジックの試合が動いたか」という
点を楽しむスタンスの相違であると思います。
例えば
曇り鏡のメロクがフィニッシャーの青いデッキを使ったときに
5ターン目にメロクを降臨させて相手を撲殺したとします。
そのときあなたは満足できますか?
相手の行動いかんに関わらず、「ビルダー」の人はちょっとした
不満が残るのではないでしょうか?
プレイヤーの人は「5ターン目にメロクを降臨させて勝利に導いた
迅速な判断」に満足を得ると思います。
ビルダーにとってはこの勝利はデッキの数々のシナジーを披露する
ことなくデュエルが終了したという事になるのではないでしょうか。
目的意識が「理論の正当性の証明」にあるので、判断の正当性の
証明では目的の達成にはならないのです。
で、この2つの関係、完全に造る人、使う人に分かれるのかというと
、そういうわけでもないと思います。
ちょうどカーレースのピットとドライバーの関係がそうであると
思うのですが
あ、勿論ただの妄想ですよ?
ピット(メカニック)が最高の理論で構築した、と思っても
実際に走ったドライバーによって空力抵抗、サスペンションの
硬さ等の微調整が行われるわけで、そういう意味で最終的に
車を仕上げるのはドライバーであると思います。
つまり、最終的な調整には、実際に動かした感想を、先入観無く
感じることのできるプレイヤーの存在が必要不可欠であると思います。
>ビルダーの人々
よくありませんか?「このカードを入れたら強くなるのはわかって
いるんだが、このデッキの構築理論的にNG」みたいな考え。
で、何が言いたいのかというと
自分の周り、ビルダーばっかし
誰も現実は直視できません。
すぐ「飽きた」とか言って微調整とかしません。
もしくは「微調整」という名を語った使いたいカードを入れるだけの
行為です。勝率上げようとか思ってません。
そして微調整の末、ちょっと勝率が上がった瞬間
「このデッキはもう既に最終形態」とかいって違うデッキを
造り始めます。
駄目やわぁ・・・。
むっちゃ、自分中心な考えでおおくりいたしました。
いいんです、どうせお○にー日記なんですから。
本日は阿部(偽名)氏と会話をしていて思いついたことINマジック
について発表したいと思います。
勝手にやってろ
・
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・
本業マジックの人は自分とはだいぶ違う感想をお持ちだと思うので
わかりませんが、素人としてマジックを楽しんでいる方々は自分は
大雑把に分けて2つのパターンに当てはまる人がいるのではない
でしょうか。
すごく当たり前な結論ではあると思うのですが
デッキを造る人(以下、デッキビルダー)
デッキを動かす人(以下、プレイヤー)
そしてこの2つのカテゴリーは相互依存関係にあるかと思います。
(その説明は最後のほうで)
ちなみに自分は(駄目)ビルダーサイド。
これら2つのカテゴリーを説明する大前提としては
「手段は同様であるものの、目的は異なる」という事がいえると
思います。
勿論手段はMTGをプレイする事です。
目的はプレイヤーは「安定して勝利する事」であり、
デッキビルダーは「理論的にデッキを勝利に導く事」では
ないでしょうか。
つまり
プレイヤーにとって勝利とは「MTGにおける最低条件」である
のに対して、ビルダーにとってそれは最低条件ではありません。
別段これはプレイヤーがマジックを楽しまないガチ野郎、という
批判ではなく、「何処に向けてマジックの試合が動いたか」という
点を楽しむスタンスの相違であると思います。
例えば
曇り鏡のメロクがフィニッシャーの青いデッキを使ったときに
5ターン目にメロクを降臨させて相手を撲殺したとします。
そのときあなたは満足できますか?
相手の行動いかんに関わらず、「ビルダー」の人はちょっとした
不満が残るのではないでしょうか?
プレイヤーの人は「5ターン目にメロクを降臨させて勝利に導いた
迅速な判断」に満足を得ると思います。
ビルダーにとってはこの勝利はデッキの数々のシナジーを披露する
ことなくデュエルが終了したという事になるのではないでしょうか。
目的意識が「理論の正当性の証明」にあるので、判断の正当性の
証明では目的の達成にはならないのです。
で、この2つの関係、完全に造る人、使う人に分かれるのかというと
、そういうわけでもないと思います。
ちょうどカーレースのピットとドライバーの関係がそうであると
思うのですが
あ、勿論ただの妄想ですよ?
ピット(メカニック)が最高の理論で構築した、と思っても
実際に走ったドライバーによって空力抵抗、サスペンションの
硬さ等の微調整が行われるわけで、そういう意味で最終的に
車を仕上げるのはドライバーであると思います。
つまり、最終的な調整には、実際に動かした感想を、先入観無く
感じることのできるプレイヤーの存在が必要不可欠であると思います。
>ビルダーの人々
よくありませんか?「このカードを入れたら強くなるのはわかって
いるんだが、このデッキの構築理論的にNG」みたいな考え。
で、何が言いたいのかというと
自分の周り、ビルダーばっかし
誰も現実は直視できません。
すぐ「飽きた」とか言って微調整とかしません。
もしくは「微調整」という名を語った使いたいカードを入れるだけの
行為です。勝率上げようとか思ってません。
そして微調整の末、ちょっと勝率が上がった瞬間
「このデッキはもう既に最終形態」とかいって違うデッキを
造り始めます。
駄目やわぁ・・・。
むっちゃ、自分中心な考えでおおくりいたしました。
いいんです、どうせお○にー日記なんですから。
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