変について

2005年9月16日 恋愛
ども、「愛とは幻想なのか」「愛はお金で買えるのか」とか
誰に聞かれる訳でもない上にとかく最終的な結論も導き出さず
理論を自己批判、練成を繰り返して自己完結。
そんな隙の潰し方をしている内向100%男、がやん@エロ明神です。

すいません阿部(偽名)さん、ちょっとこの呼び方気に入ってしまった
のですが・・・。
問題はエロ(L)SDと縁もゆかりもないこと。もはやどうでもいい
というか、エロSDという呼び方を知っている人にはもはやこの日記は
バレバレなので呼び方なんてどうでもいいわけですが。

俺、右手、残念。確か2回目。

参考までに脳内発表。人にケツの穴を見せる行為。

「愛は幻想である」ということは
「愛とは人間(ないしそれを今形成している人間同士)が勝手に
作り上げたもの」とか「性欲を都合のいいものに置き換えているだけ」
やら。

しかし
「お金は幻想である」ということは
「金とは人間(ないしそれを今形成している人間同士)が勝手に
作り上げたもの」とか「物欲、支配欲を都合のいいものに置き換えているだけ」やら。

結局どちらも文化的行為の元に形成されたもの。

そもそも今の人間社会は「お金という紙であったり金属であったり
する物体が価値がある(生活、労働、余暇全てのステージにおいて)」
という壮大なフィクションを前提に作られているわけで。
むしろそれに乗っかれない人とか不適合者あつかい。

「愛がお金で買えるのか」
維持費が高すぎて非現実的。
愛とは個人に対する占有権なので、物件のように1回購入すれば
事足りるものでもなく。

そもそも上記の件より「愛」とは物件(というよりその上にある
権利?)ではなくどちらかというとお金に近い感覚。
お金で買えるものもあれば、愛で買えるものもある。
「お金でお金を買えるか?」為替レートじゃあるまいし。
現実の経済的には確かに行われる行為だけど、概念的には
「対価で物件を購入」から「対価で対価を購入」ってなんか
変じゃね?

はい、

まとまってない上に意味不明

まぁがやんのメモ用紙を覗き見という交通事故みたいなもんだと
思ってください。すんません。

マジックは・・・お休み。

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